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事件ファイル01:「東村山女性市議怪死事件」

1995年9月1日、夜10時頃、東京都東村山駅前にあるマンション・ロックケープビルで、突然「ドサッ!!」っという大きな物音が響いた。現場ビル1階で営業しているファストフード店の女性店員が物音に気付き、不審に思って30分後に表を見に行ってみると、そこに一人の女性が倒れていた。女性の身元は、東村山市議会議員の朝木明代さん(当時50歳)。カルト宗教S会と、その配下政党であるK党が非常に強い勢力を持つこの地元で、熱心にS会の不正追及運動を続けていた有名政治家だった。朝木さんは現場ビルの上階から転落したものと見られる。発見時にはまだ意識があったが、搬送先の病院で午前1時頃にひっそりと息を引き取った…。ボランティア活動に誠実に励む専業主婦だった朝木さんが、東村山市議選に初めて出馬したのは1982年。当選後、3期連続12年に渡って東村山市で市議会議員を務めて来た。そんな朝木議員がカルトS会と対立してゆく様になった切っ掛けは、所属団体「草の根市民クラブ」が発行する広報紙「東村山市民新聞」に掲載された、ある購読者からの悩み相談記事だった。その悩みとは「カルトS会からの脱会を巡って、様々な悪質な嫌がらせをされて困っている」というものだった。つまり、今日で言うところの「集団ストーカー」被害に遭っていたのだ。これに対し、朝木議員は紙面で「S会信者やK党議員の中には、平気で人権侵害する人がいます。応援しますので頑張って!」と激を飛ばした。以降、朝木議員は同僚である矢野穂積市議らと共に、正義感から脱会希望者達の支援活動に携わる様になり、反カルトS会・K党運動のヒロインとして全国的な有名人となっていった。

そんな朝木議員ら「草の根市民クラブ」のメンバーにも、やがて「集団ストーカー」の魔の手が迫る様になった。怪死事件発生の2年程前から、朝木・矢野両議員を誹謗中傷する怪文書ビラが大量にバラ撒かれたり、脅迫状が届けられる、悪戯電話が掛って来るなど、不特定多数の不審者を動員した嫌がらせ行為が始まった。その一部については、S会信者による犯行であった事実も判明しているという。被害は実娘の朝木直子さんにも及び、愛用のポケベルに「4、4、4…」などと「死」を連想させる様な悪戯着信が頻繁に送られて来る嫌がらせが続いた。1995年7月11日には、朝木議員のスキャンダル事件を捏造した怪文書FAXが、東村山市内の各マスコミに匿名で送り付けられる騒動があった。怪文書の内容は、朝木議員が西武線・東村山駅東口にあるブティック店で万引き行為をした、というものだった。この件でブティックの女性店主は警察に被害届も出したという。まだマスコミ各社も事件情報を掴んでいない時点での、この怪文書ファックス拡散には甚だ胡散臭いものを感じざるおえない。朝木議員は東村山市議会での議員報酬引き上げを徹底批判し、8年間に渡って自身の給与引き上げ分やボーナス割増し分を返上し続けた、公人の鏡とも言うべき清廉潔白な人だった。万引きしたとされるTシャツは定価1900円。一方、彼女が1995年5月までに報酬を返上した総額は806万円以上。つまりTシャツ4523枚分である。そんなつまらない物を、朝木議員の様に誠実な人物が万引きするとは到底信じられない。しかも万引き事件があったとされる時刻、朝木議員は同僚の矢野議員らとファミレスで食事をしていたというアリバイもある。当日の朝木議員の服装と、ブティック店主が目撃した万引き犯の服装が違うという証言まであった。この万引き冤罪事件の後も、朝木市議と関係者らをターゲットにした集団ストーカー・嫌がらせ加害はエスカレートの一途を辿っていった。「東村山市民新聞」編集事務局宛てに「ばく死」などと書かれた火薬入りの脅迫状が届けられたり、朝木議員の自宅前で何者かが新聞紙に灯油をかけて火を付ける放火事件などが相次いで発生。同僚の矢野議員も路上で暴漢から突然襲撃を受けて重傷を負ったり、自転車で走行中に2台の不審なトラックに挟まれて危うく事故死させられそうになるなど、命の危険に関わる襲撃事件を二度も体験していた。また、朝木議員も愛用自転車のブレーキパイプを切断される嫌がらせなどを受けた。最早、いつ万が一の事態に襲われてもおかしくないぐらい緊迫した状況だった。

そんな凶悪な「集団ストーカー」犯罪に苦しめられる日々が続いた末、ついに起きてしまったのが朝木議員の謎の転落死事件である。朝木議員は事件発生日の翌日、高知県で開催される「宗教法人法と政治を考える」というカルトS会の不正問題を取り扱ったシンポジウムに講師として参加する予定だった。(ちなみに当時、このシンポジウム主催団体にも「イベントを中止しろ、ただじゃ済まさないぞ!」、「講師が五体満足で高知の地を踏めると思うな!」などといった脅迫電話による嫌がらせが相次いでいた。)事件当夜も、彼女はその為の資料原稿を熱心に作成していた。しかし夜9時頃に自宅から「気分が悪いので少し休んで行きます」と矢野議員に電話連絡を入れたのを最後に、朝木議員の消息はプッツリと途絶えてしまう。心配した娘の直子さんや矢野議員らが方々を探し回ったものの、その足取りは全く掴めない状態だった。午前10時半頃、矢野議員は朝木議員が行方不明になった件を地元警察に通報し、捜索を依頼。それから4時間近く経った翌2日の午前2時頃、不気味な出来事があった。朝木議員の自宅前に不審なワゴン車が現れて、家の方を監視する様にじっと停まり続けていた。怪訝に思った家族と矢野議員が車に近付き、運転席の男に話し掛けたが、男は返事もせずにただ無言でニヤニヤ笑うのみ。しばらくするとワゴン車は急発進して、何処かへと走り去って行った。そんな気味の悪い出来事があった直後の事だった。まるでタイミングを申し合わせた様に、警察から「飛び降り自殺をして病院に収容された女性が、朝木議員である可能性が高い」という連絡が入った。午前3時頃、朝木直子さんと矢野議員が急いで東村山警察署へ駆け付けたが、既に朝木明代議員は帰らぬ人となった後だった…。

この事件を巡っては、警察も数々の不審な動きを見せていた。警察側は当初、何故か遺族を病院に行かせず署内に釘付けにして、故人との対面を頑なに拒否し続けた。遺族は泣きながら「こういう事になるから嫌がらせを受けていた時に捜査してくれと言っていたのに」と訴えたが、担当刑事課長Tは「お前ら、何が言いたいんだ!?自殺なんだ、これは自殺!!」などと心無い言葉を繰り返し叫んだという。一方、東村山署から病院へ派遣された刑事Sは、医師に対して「遺体は朝木さんだという事を伏せておいてくれ。」と不可解な口止め要求をしていた。まだ司法解剖や捜査も行われていない段階だというのに、警察は明らかにこの事件を自殺として早急に片付けたがっている様子だった。遺族らの強い要望により、ようやく朝木議員の遺体と面会が叶ったのは、事件の一報が東村山警察署に入ってから6時間半以上も経過した後の事だった。変わり果てた姿の朝木議員は棺に納められ、既に火葬する準備まで進められていたという。遺体は素足の状態で、どういう訳か靴と所持品の鍵束が、事件現場からも遺品の中からも全く見当たらなかった。朝木議員は翌日に控えたシンポジウムの準備に取り組んでいる最中だったし、事件当日の昼間も矢野議員や支持者らと一緒に東京都議会事務局を訪れて、「宗教法人法及び関係税法の抜本改正を求める陳情書」を提出するなど、とても意欲的に活動していた。彼女の性格からして発作的に自殺するなど到底信じられない遺族は、難色を示す警察担当者らの意見を押し切って司法解剖を要求。後に検死の結果、朝木議員の遺体の両腕に“何者かに強い力で掴まれた場合に出来る特有な痣”がある事が判明した。これは朝木議員がビルから転落する直前に、誰かと争っていた事実を示す。つまり本事件が“自殺ではなく、他殺である疑いが濃厚”だという可能性を証明する重大証拠であった。

東村山事件の裏には、各関係者を結ぶ一つの重大なキーワードがあった。それは「カルトS会」という名のドス黒い影!明らかに他殺事件である朝木明代市議の死を、自殺として揉み消そうとした連中の多くが、このキーワードで結ばれていた。1995年5月、朝木議員ら「草の根市民クラブ」メンバーはカルトS会側と一度きちんとした論議をしたいと思い、わざわざ相手の集会に赴いて公開討論を持ち掛けた事があった。 その際、S会信者の男が逆上して朝木議員に食って掛かる騒動が起きた。男は朝木議員が手に持っていたカセットテープを奪い、床に叩き付けて粉々に破壊した後、「月夜の晩だけじゃないぞ、ブッ殺してやる!!」と脅迫したという。 また、事件当夜に朝木家の前で不審な監視行為をしていたワゴン車の男も、ナンバーから身元を辿ってみるとS会信者らしき疑惑が浮上した。ある週刊誌の取材によると、「あの車の(所有者の)家の奥さんはS会信者だと聞いてますよ」と近隣住民が証言したという。当然、妻だけでなく一家揃ってS会信者である可能性が高い。ターゲットの家の前に不審車を停めて監視するというのは、「集団ストーカー」の典型的な嫌がらせ手口の一つだ。さらに朝木市議に万引き犯の汚名を着せたブティック店長も、実はS会信者だという噂がある。事件後、「あれは朝木さんを陥れる為に、ソックリさんを使ってやった替え玉事件だった」という匿名のタレ込み文書が、「草の根市民クラブ」事務所に送られて来た。そのタレ込み証言を裏付けるかの様に、こんな奇怪な出来事があった。朝木議員の葬儀の際中、彼女と“全く瓜二つな容姿をした謎の女性”が、親族・関係者らによって二度も目撃されたという。体型や髪型、顔立ちがソックリなのは勿論、なんと服装からバッグまで朝木議員が亡くなった日に身に付けていた物と完全に一致していた。しかも、一度目に目撃された女と、二度目に目撃された女は、それぞれ別人だった。つまり朝木議員ソックリな人物2名が、葬儀を冷やかしに来ていたのだ。これは遺族だけに分かる、明らかに悪意に満ちた嫌がらせ工作だった。さらに事件後、カルトS会はマイナー出版社を金で買収して「朝木市議は万引き事件を起こした自責の念から自殺した」などと、でっち上げのゴシップ記事を書かせ、その雑誌を教団ぐるみで大量に買い込んで広範囲にバラ撒く行為などもやっていた。自分達で朝木議員を謀殺しておきながら死後も侮辱するなど、宗教団体の風上にも置けない非道下劣ぶりだ。一方、東村山市議会でもスキャンダラスな騒動が起きていた。矢野市議のすぐ後ろの席にいたK党市議Sが突然、次の様な野次を飛ばしたのだ。「今度はお前に弔電を送ってやるぞ!!」…その、あまりにも露骨な敵意剥き出しの脅迫発言により、議会は一瞬凍り付いた。K党市議の問題発言は当然、傍聴席に居たマスコミ関係者らにも聞こえ、週刊誌で報道される騒ぎとなった。生前、朝木議員が命懸けで取り組んでいたカルトS会とK党の政教一致問題が、正に真実であると証明された瞬間だった。

事件から年月が経つにつれて、朝木市議殺害に関する真相も次第に明らかとなって来た。後年、元カルトS会幹部のある男性が、東村山事件について知人に次の様な証言を語ったという。「平成7年9月1日夜、カルトS会の最高幹部から朝木議員を脅すように命じられた暴力団員2名が、朝木議員を現場ビル6階の外側に追い込んで、カルトS会への敵対活動を止めなければ落とすぞと脅迫していた。ところが、誤って朝木議員を転落死させてしまったと、この暴力団員2名が顔面蒼白になってカルトS会の幹部の所に駆け込んで来た。そこで、幹部は『朝木議員の事は自殺として処理するから、ほとぼりが冷めるまで身を隠せ』と暴力団員に命じたそうだ。」カルトS会が昔から特定暴力団に汚れ仕事を依頼していたのは有名な話だ。過去に一部週刊誌で「カルトS会幹部Fと暴力団G組長の密会ビデオが実在する」とスクープ報道された。そのビデオの内容によると、G組長は密会した相手のカルトS会幹部F(元都議会K党幹事長)から、反学会活動をしている政治家・亀井静香氏ら4人の名前を挙げられ、「この人達は為にならない」という主旨の話を聞かされた。受け取り様によっては、幹部FがG組長に4人の暗殺を依頼したという意味にも聞こえる。この4人の中で、実際に襲撃されて命を奪われたのは1人だけだという。それが朝木明代議員だった事は、想像に難くない。実際、G組長は自身の著書の中で「この某幹部が、カルトS会と自分とのパイプ役を務めていた」、「密会ビデオは存在する」という事実を認めている。一方、カルトS会幹部のF元都議も週刊誌の取材に対して「G組長と面識がある事は確かだ」と証言している。表向きは「平和だ、福祉だ」などと綺麗事を言っている、曲がりなりにも宗教法人を名乗る団体が、裏では暴力団と癒着して邪魔な人間を口封じ抹殺している。そんな犯罪組織が宗教の看板を掲げるなど偽善者も甚だしい、恥を知れ!と侮蔑されるべき教団だろう。

本事件に関わった警察・検察関係者にも、S会との接点は異常に多い。後年、東村山事件の真相糾明活動をしている市民ボランティア団体が、朝木市議万引き冤罪事件の舞台となったブティック店を視察訪問した際、そこで意外な人物が待ち伏せしていた。それは元東村山署副署長のCだった。このC元副署長は万引き冤罪事件で直接指揮を取っていた人物であり、噂によるとS会信者だとも疑惑視されている。後日、C元副署長は市議会に出席していた朝木直子さんの元にも現れ、「朝木、(支援者仲間を使ったブティック店)襲撃はまずいよな?」などと、ニヤニヤ気持ち悪く笑いながら嫌味を言ったという。正にストーカーそのものの異常な執着行為だ。その後もC元副署長は、市民団体が街宣活動などでこの街を訪れる度、まるでストーカーの様に現れては付き纏い・監視行為を繰り返したという。この人物がただの警察OBだったら、そこまでする必要は無いはずだ。やはりS会信者特有の「教団を守る為なら反社会的行為も辞さない」という異常気質ぶりを感じざるおえない。それから事件当日の夜、東村山署から派遣された担当刑事SもS会信者だという疑惑が持たれている。事件発生時、救急車が到着したにも拘らず、まだ息のあった朝木市議が24分近くも現場に置き留められたのは一体何故か?現場にいたS刑事の指示ではなかったのか?S刑事は何故「遺体は朝木さんだという事を伏せてくれ。」などと、医師に奇妙な口止め指示をしたのか?これらの不審点についても、様々な憶測が囁かれている。さらに事件当初は遺族や矢野市議も知らなかった事実だが、この朝木市議怪死事件を担当していた検事Nは、なんとS学園・S大学出身という経歴を持つバリバリのS会信者である事実が後に発覚した。その担当検事を指揮する立場にある東京地検八王子支部長Yもまた、カルトS会学生部法学委員会の参与という裏の肩書を持つ教団幹部の一人だった。この怪死事件を自殺として処理した警察・検察担当者の多くが、S会信者で固められていたというのは実に忌々しき実態である。

カルトS会には「総体革命」と呼ばれる教義がある。政治、官僚、法曹界、経済、教育、マスコミなど、あらゆる分野の上層部ポストに信者を送り込んで乗っ取り、果ては国家そのものを教団が支配しようという計画だ。これは決して荒唐無稽な陰謀論ではない。既に現在、日本社会はカルトS会の「総体革命」計画によって深刻なレベルまで汚染されつつある。政治・司法・警察・マスコミなどは教団の意のままに操られ、その利権維持の為だけに機能する様になっている。その影で、国民の利益や人権は不公正に蔑ろにされている。朝木議員が必死に訴えていた“S会とK党の政教一致問題”とは、つまりそういう事なのだ。オウム真理教の様な反社会的カルト宗教に政治権力を握らせたら、一体どういう事態になるか?「東村山市議殺人事件」が自殺で片付けられたという悪しき実例こそ、その答えの真相ではないか!己の身を犠牲にしてまで社会不正に立ち向かっていた善良な政治家を、カルトS会は卑劣極まりない組織ぐるみの「集団ストーカー」犯罪で謀殺した。しかも事実無根の万引き冤罪という汚名まで被せて!そんな世の中の腐敗を正す為に、朝木議員は市民の代表として矢面に立って闘ってくれていたのだ!敬愛すべき偉大なリーダーを残虐非道な暴力によって奪われた、その悲劇と怒りを我々は絶対に忘れてはならない。あと何人、朝木議員の様な善良な人々が犠牲になれば、国民は怒りの声を上げるのだ?この「東村山市議暗殺事件」の様に、日本国内で不可解な未解決凶悪事件が起きる度、その背後には必ず犯罪カルト勢力が潜んでいるという事実が、まだ分からないのか?心有る者は朝木議員の遺志を継いで、犯罪カルト組織の撲滅に今すぐ立ち上がって欲しい。今こそ政教一致の悪しきカルト権力体制に“NO!”を突き付けよう!

※参考記事:カルト宗教S会の犯罪―朝木明代議員殺害隠蔽事件
http://blog.livedoor.jp/matrix_zero1/archives/2094094.html

※参考記事:検証、新事実が明らかになった「東村山事件」
http://www.forum21.jp/2004/01/post_10.htm

※参考記事:東村山事件―誰も信じない!疑惑の現場洋品店で東村山署元副署長が店番、何故?
http://nipponism.net/wordpress/?p=9973

※参考記事:東村山事件―元・東村山警察署副署長の全面敗訴は決定済み
http://makiyasutomo.jugem.jp/?eid=381

※参考動画:報道特集「朝木明代東村山市議転落死事件」

※参考動画:朝木明代市議謀殺事件と東村山警察署C元副署長

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