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事件ファイル02:元公明党委員長の「黒い手帖事件」

矢野絢也氏と言えば、かつて某K政党の委員長など重要ポストを歴任した元政治家であり、現在は政治評論家として活動している人物だ。京都大学経済学部卒、在学中の1953年にカルト宗教S会に入信した。政界時代の矢野氏は、K党所属の政治家の中でも、他党リーダーや労働組合、経済団体幹部などの間で人気が高く、与野党のパイプ役を担った人物だった。その一方で、矢野氏は後年「カルトS会とK党を守る為に、大きな声では言えない事も裏でして来た」とも胸の内を明かしている。1993年、政界を引退して政治評論家に転身。その後、ある雑誌に寄稿した手記の一文が原因となり、古巣であるカルトS会及びK党から猛烈なバッシング攻撃を受ける様になった。ほとんど難癖を付けたとしか言い様が無い些細な事柄に端を発して、教団ぐるみによる矢野氏への個人攻撃は次第にエスカレート。ついにはその家族にまで執拗な嫌がらせが加えられるという凄まじい「集団ストーカー」事件に発展していった。やがて矢野氏が政界時代にカルトS会やK党の裏事情を事細かく綴った“黒皮の手帖”を巡って、双方の対立は法廷を舞台に激しく争われる様になっていった。以下、矢野絢也氏がカルト宗教S会から「集団ストーカー」被害を受けるようになった経緯の詳細である。

矢野氏は1993~4年にかけて月刊誌「文藝春秋」にて手記を連載していた。ある時、「S会とK党は政教一致と言われても仕方がない部分があった」という記事を書いたところ、カルトS会から非難されて釈明・訂正を迫られる事態となった。その後、しばらくは教団との関係も平静を保っていたが、2005年4月頃になって突然、矢野バッシングが再燃。教団は過去の記事を持ち出して、猛烈な批判活動を展開した。同年4月20日、矢野氏はカルトS会T国際会館へと呼び出され、N口総関西長、F原関西長らから「学会青年部が怒っている」、「除名処分の要求が出ている」などと脅され、予め教団側が用意した文案に従って謝罪文を書くように迫られた。矢野氏は既に10年以上も前に一旦片が付いた問題を蒸し返されて内心納得が行かなかったものの、事を荒立てたくなかったので渋々承諾。翌21日には謝罪文を交付した。さらに後日、今回の騒動のけじめを付ける為に現金100万円を教団に寄付した。矢野氏が書かされた謝罪文は教団機関紙「S新聞」4月28日号の紙面で大きく取り挙げられた。その頃、矢野氏は妻と共に海外出張でカサブランカに滞在していたのだが、当時海外に在住していた長男を通じて、カルトS会のH谷川副会長から数回に渡り「謝罪文を読んだ青年部が怒っている。早期帰国して青年部首脳と面談するように。」という指示が伝えられた。さらに「S新聞」5月9日号では、矢野氏が都議選前という教団にとって大事な選挙活動時期に海外旅行へ出掛けた事実を責める記事が、M井関西青年部長の批判コメントと共に掲載された。矢野氏は海外出張へ出掛ける直前に、カルトS会のA谷会長から突然電話で「この連休中に海外へ行くという事だが、都議選前だから止めて欲しい。」と要求されていた。この発言は、カルトS会側が矢野氏の行動を随時監視しているという事実を示していた。

その後、矢野氏は5月14日午後6時過ぎに海外出張から帰国して成田国際空港へと降り立った。空港には背広姿の若い男達が10人ほど待ち構えており、柱の陰に隠れながら突然、矢野夫妻に向けてカメラのフラッシュを浴びせ始めた。当初、矢野氏は「マスコミ関係の連中かな?」とも思ったが、男達の異常な雰囲気からすぐに「教団青年部だ」と直感した。彼らは駅のホームにまで付いて来て、不気味な盗撮行為を続けた。矢野氏はその足でT国際会館まで出頭する様に命じられ、青年部との面談に応じている。その席では、S山青年部長、Y谷男子部長、T川総東京長、M井関西青年部長らが矢野氏をぐるりと取り囲み、「文藝春秋」の記事を目の前に置くと、まるで吊し上げる様に非難を浴びせた。M井は二度に渡って「土下座しろ!」と迫り、T川は「人命に関わるかも知れない」、「貴方は息子がどうなってもいいのか?」などと脅迫めいた事を言って、矢野氏を威嚇した。Y谷らは「元委員長が政治評論活動をするのは許せない!」、「政治評論家を辞めるべきだ!」と評論活動からの引退を迫った。さらに他の者達も血相を変えて矢野氏を弾劾した。また、S山は「記事の件を謝る、評論家を辞める、今後は執筆活動をしない、教団に恩返しをする」といった趣旨の誓約書を予め用意していて、これを矢野氏に突き付けて署名するように要求した。身の危険を感じた矢野氏は、青年部の恐喝に折れて誓約書に署名すると同時に、政治評論活動を辞める事を渋々承諾した。

5月15日、元K党議員のK柳明、F木和雄、O川清幸ら3名が突然、矢野氏宅を訪問。青年部との面談で誓約した評論活動からの引退について言及した上で、矢野氏を威圧し、政界時代の様々な情報が綴られた手帖、約100冊を全て渡すようにと迫った。矢野氏は仕方無く口頭で手帖を後日引き渡す約束を交わすと、3名は一旦引き揚げた。しかし、その後、K党本部で幹部のF井代表とO久保書記長らから「手ぶらで帰るなどガキの使いではないか!?」などと叱責を受けたK柳ら3名は、再び深夜という非常識な時間帯にも拘らず矢野氏の自宅へと押し掛けて来た。そして、またもや脅しと宥め賺しを繰り返し、矢野氏の手元にあった過去3年分の手帖など私的資料を持ち去った。後日、「S新聞」5月18日号にて「矢野・元K党委員長が重ねて謝罪」という大見出しと共に、青年部の恐喝行為を賞賛する記事が掲載された。一方、矢野氏は同日に「日刊ゲンダイ」編集部に電話して連載辞退を申し出た。他の出版社関係の執筆活動や、報道番組「NEWS23」、「報道ステーション」などの出演依頼も全て断った後、矢野氏は政治評論家活動から完全に退いてしまった。5月30日、矢野氏宅にK柳ら3名が三度訪れた。そして残りの手帖を全て受け取ると、それらをダンボールに梱包して封印してしまった。恐らく顧問弁護士の指示によるものだろうか、その作業に矢野氏と奥さんも立ち合うよう命じた。さらにK柳らは自宅内も全て捜索させろと要求して来た。さすがに怒った矢野氏が110番通報しようと受話器を手に取ると、K柳は突如その手を強く掴んで制止し、またもや恫喝を始めた。身の危険を感じた矢野氏は、苦渋の選択で家宅捜索をやむなく承諾。その後、K柳ら3名は矢野邸を1階から3階までくまなく調べ回り、卑しくも着替え中だった奥さんの部屋にまで押し入って悲鳴を上げさせた。K柳らは家探しを終えると、今度は矢野家の資産状況について矢継ぎ早に質問し、カルトS会に対するけじめの付け方として資産を寄付する様にと要求して来た。今回の家宅捜索は教団への資産寄付を前提とした調査も兼ねていたらしい。そして6月15日、矢野氏はまたもやT国際会館に呼び出され、N口、H谷川、F原らカルトS会幹部らと対面した。そこでも幹部らは「青年部の怒りはやむを得ない!」、「庶民の心に立ち戻らなければ地獄に落ちる!」、「家も売って!」、「2億だとか、3億だとか、そういうものを(教団に寄付しろ)!」などと恫喝し、所有財産のほとんどをカルトS会に財務(寄付)する様にと無茶な要求を突き付けて来た。矢野氏は屈辱に耐えながらも、教団に対して歯向う意思は無いと弁明に努めた。それでもカルトS会側は、その後も「S新聞」、「S新報」などの機関紙で、矢野氏を誹謗中傷する記事を執拗に書き続けた。

そして2006年5月頃から、矢野氏に対する本格的な「集団ストーカー」攻撃が開始された。まず何者かが矢野氏の自宅近くに監視カメラを設置し、24時間体制で行動を見張り始めた。同時に、矢野家の前にある広いスペースの駐車場に朝晩、不審な車が1台ないし2台、必ず停まりに来る様になった。矢野氏が自宅の窓から不審車の様子を窺うと、運転席に潜んでいる男がカメラを隠し持っている姿が見て取れたそうだ。さらに同時期から、矢野氏、妻、息子夫婦、孫、秘書などが外出する際に、必ず多人数グループの不審者らがしつこく尾行して来る様になった。家を出て三分も歩けば、すぐに怪しい連中が現れる、または不審車が付けて来る。どうやら矢野家の関係者が外出すると、監視役がすぐにそれを尾行班に伝え、追跡して来るシステムになっているらしい。矢野家の人間が車で出掛けると、尾行車が交差点で急停車するなどの危険運転を行い、交通事故を誘発させようと仕向けて来る事もあった。外出先でも、ホテルやレストランなど何所構わず必ず監視員らしき怪しい人影が付き纏って来た。矢野氏が駅のホームで電車を待っている時なども、その背後に多人数の不審者グループがピッタリとマークして来た。時にはホームから線路に突き落とされるのではないかと身の危険を感じた出来事まであったという。以後、矢野氏は人身事故を装った暗殺を警戒して、いつも必ずホームとは反対の壁際に立つ様に心掛けたそうだ。嫌がらせ電話も連日しつこく掛って来た。着信ベルが鳴って受話器を取ると、相手は無言のまま何の反応も示さない。聞き覚えの無い声の主からの脅迫電話も頻繁に掛って来た。相手はいきなり名乗りもせずに「罰が当たるぞ!!」、「我々は黙っていないぞ!!」、「この恩知らず!!世間を歩けない様にしてやるぞ!!」などと罵詈雑言を喚き立てた。この様な迷惑電話が、多い日には一日10本以上も掛って来たという。その内、事務所の電話機にも通話中に雑音が交ざるなどといった異変が起こり始めた。盗聴被害を疑い、電話機を新しい物に取り替えると雑音はピタリと止んだ。S会信者らが集団で直接、矢野氏宅を訪れて、「矢野の家は悪魔の家だ!!」、「裏切り者!!」、「地獄へ行け!!」などと口々に誹謗中傷を浴びせるなど、まるで右翼街宣車並みの批判活動をする事もあった。矢野氏がそれをカルトS会本部に抗議すると、幹部らは「耐える事が信心だ」などと悪びれる様子も無く言ってのけ、逆に資産の寄付を要求して来る始末だった。ちなみに矢野氏家の真向かいには政治家・Y謝野馨氏の邸宅があった。Y謝野氏はJ民党時代より、カルトS会から大変な選挙支援を受けていた。そんな経緯もあって、矢野氏がカルトS会から一連の組織的なストーカー・嫌がらせ被害を受けていた間も、Y謝野家はずっと見て見ぬふりを続けていたらしい。

矢野家は、これら一連の「集団ストーカー」被害による精神的苦痛、恐怖に耐えかねて、被疑者不詳のまま警視庁・牛込警察署に被害届と保護願いを提出した。以後、警察による周辺パトロールが強化され、それにより犯行は一時的に沈静化した。しかし、ほとぼりが冷めた頃になると再び被害が悪化。そんなイタチゴッコが何年も続いたという。矢野氏自身は、これまでの経緯や、独特な犯行手口などから考察して、一連の「集団ストーカー」犯行は全てカルトS会主動によるものだと確信していた。矢野氏と同じく、かつてカルトS会やK党の躍進に大きく貢献して来たT入義勝・元K党委員長や、Y崎正友・元顧問弁護士なども後年、教団組織との対立を切っ掛けにして「集団ストーカー」被害に遭っていたという。カルトS会内部で、この様な監視・尾行を専門に担当している部署は「広宣部」だ。その標的にされるのは主に脱会者や、日蓮正宗など敵対団体、教団批判記事を書くジャーナリストなどだった。そうした事実を振り返って、矢野氏は「(カルトS会によって)反社会的な事が、あちらこちらで行われている。」と公に語っている。2008年5月1日、矢野氏とその家族7名(矢野夫妻、息子夫妻、孫娘3人)は書面にて退会届を提出し、カルトS会を正式に退会。さらに同月12日には一連の人権侵害行為や名誉毀損などを理由に東京地裁へ告訴状を提出し、カルトS会との全面訴訟対決に突入した。今回、矢野氏が訴えた相手は、S山保(青年部長)、T川佳樹(総東京長)、Y谷照彦(男子部長)、M井昌義(関西青年部長)、H谷川重夫(副会長)、N口良三(副会長・総関西長)、F原武(副会長・関西長)ら計7名の学会幹部及び、宗教法人「S会」だった。そして2009年9月1日、矢野絢也氏がカルトS会に対して起こした「集団ストーカー」関連裁判の判決が確定した。判決は矢野氏側の勝訴。東京高裁は、教団が矢野氏の元から持ち去った“黒い手帖”の返還と、慰謝料300万円の賠償を命じた。噂によると、裁判結審からしばらく経った後、矢野絢也氏とカルトS会との間で和解が交わされたという。カルトS会側は矢野家関係者に対する「集団ストーカー」加害を今後一切止める事、代わりに矢野氏側は本件について表立った告発活動や暴露証言を行わない事…それが和解条件だったらしい。

カルト宗教S会とK党の「政教分離原則違反」問題を追及して謀殺された政治家は何人もいる。元東村山市議の朝木明代さんや、元民主党衆院議員の永田寿康氏らも、その犠牲者だった。永田議員とカルトS会との確執は、2005年7月8日に開かれた「衆院・政治倫理の確立及び、公職選挙法改正に関する特別委員会」の場が発端だった。その会議の中で、永田議員は「東京都議会議員選挙の際に毎回、K党の支持母体であるカルトS会信者の住民票が大量に東京都へ移動されている疑惑がある。」などと発言。K党側は「出所不明の風聞だ」として永田議員に猛抗議し、自公連立与党からは同議員への懲罰動議が提出される騒動にまで発展した。永田議員は人一倍正義感の強い、熱血な性格の持ち主だった。その後も自身の主張を決して曲げず、政界の不正追及活動を続けようとしていた。しかし、「ライブドア事件」に絡む偽メール問題や、カルトS会の「不正選挙疑惑」問題などで偽情報に嵌められて議員辞職に追い込まれ、カルトS会本部からも名誉毀損で刑事告訴されるなど散々な苦難に見舞われた。インターネットの噂によると、カルトS会の集会で幹部が「民主党の永田議員を折伏するようにと、(教祖である)Ⅰ田先生から直々に電話があった」などと発言していたらしい。その後、永田議員の周囲では、カルトS会による組織ぐるみの犯行だと思われる“ストーカーじみた嫌がらせ”が相次ぐ様になった。それから程無く経った2009年1月3日午後6時頃、北九州市八幡西区にある11階建てマンションの駐車場で、血塗れになって倒れている永田氏の姿が地元住民によって発見された。同マンションの10階と11階の間にある階段の踊り場からは、遺書のようなものも発見されている。福岡県警八幡西署は飛び降り自殺だと断定。永田氏は直ちに病院へ搬送されたが、医師により死亡が確認された。享年39歳だった…。永田元議員が失脚する原因となった、偽メールを彼の元へ持ち込んだN澤孝なる人物は、実は裏でK党と関係があったとも噂されている。一部週刊誌の報道によると、このN澤某はカルトS会と権力パイプで繋がった「N財団」代表の血縁者なのだという。永田氏がカルトS会・K党とトラブルを起こして議員辞職に追い込まれる直前、彼を心神喪失理由で精神病院へ入院させるように計らったのは、当時の民主党幹事長だった鳩山由紀夫氏であった。永田氏は以前からストレス対策でよく抗鬱剤を使用しており、議員時代にも自殺未遂事件を起こしていた。抗鬱剤は覚醒剤とほぼ同じ成分で、自殺衝動を引き起こすなど危険な副作用がある。猪突猛進に政界不正を追及する永田氏の存在を、疎ましく思っていた政敵も多かったであろう。悪意の何者かが精神医療を悪用し、永田元議員を口封じ抹殺した可能性も十分考えられる。

後年、矢野絢也氏は著書の中で次の様に語っている。「事は、宗教法人法で定められている宗教団体の適格性という問題に関わる。宗教法人法・第八一条では『法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をした事、宗教団体の目的を著しく逸脱した行為をした事などがあれば、解散命令を出す事が出来る』と規定されている。私に対してカルト宗教S会が行った不法行為は、明らかにこの条項に該当する。カルトS会、並びにK党による理不尽な人権蹂躙行為に対して、私がとりわけ強調したい事は、これらの悪事が、個人の偶発的・単発的な事柄ではなく、教団本部によって予め十分に計画されていたものだという点だ。各部門と連動しながら、綿密にスケジュールを組んでの常習的な組織犯罪だったのである。また、攻撃範囲は本人のみならず、家族・親族に及ぶものであり、精神的威嚇、社会的地位の抹殺、または生活の基盤を奪い取ろうとする包括的なものであった。私の見る限り、カルトS会は明らかに宗教法人の枠組みを外れて、反社会的な集団への道を辿っている。このまま、進路を修正せずに進んでいけば、行き着く先は『滅亡』ではないか。そんな危惧が私の中で日増しに大きくなっている。」(矢野絢也氏著・講談社刊「黒い手帖-カルト宗教S会『日本占領計画』の全記録」より抜粋)

※参考記事:矢野絢也に対する集団ストーカー被害
http://www.asyura2.com/07/cult5/msg/470.html

※参考記事:【抜粋】黒い手帖―カルト宗教S会「日本占領計画」の全記録
http://cultbokumetsukonzetsu.web.fc2.com/04s07.html

※参考記事:元公明委員長の告発手記-カルトS会が脅えた私の「極秘メモ」
http://www.geocities.jp/higashimurayamasiminsinbun/page176.html

※参考記事:永田寿康代議士が追及したカルトS会・不正選挙疑惑
http://alcyone.seesaa.net/article/100668715.html

※参考動画:集団ストーカー[証言編]―矢野絢也編

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